■
α142
2010年 08月 06日
|
▼
7月25日
鳥取への日帰り乗り鉄の翌日は京都府与謝郡にある加悦SL広場に行ってきました。
(加悦と書いて「かや」と読みます)
加悦鉄道は大正15年12月5日「加悦」~「丹後山田」を結ぶ総延長5.7Kmが開通。
昭和2年3月には当地方へ甚大な被害を及ぼした「丹後大震災」が発生。
加悦鉄道も駅の焼失・倒壊、線路築堤は全域にわたり50cm程度陥落し、軌条は上下左右に屈曲し運休を
余儀なくされましたが、迅速な復旧を行い被災地域へ復旧資材の運搬を行いました。
昭和9年ごろより「ちりめん」産業が活況、加悦鉄道も多くの人に利用され、同年、大江山にニッケル鉱山が
発見され、昭和14年には鉱山駅までの2.6Kmを延長し、ニッケル鉱石の搬出に活躍。
昭和30年頃より蒸気機関車の老朽化などによりディーゼル機関車やディーゼルカーに転換。
昭和45年頃に休車して使われなくなった車両を加悦駅構内において保存展示を始める。
60年間にわたり地元住民の足、地元産業品等の輸送、ニッケル鉱石の輸送に活躍した鉄道も
モータリゼーションの波におされ、昭和60年4月30日に地域住民に見送られその歴史に幕を閉じました。
その旧加悦鉄道の加悦駅舎がSL広場の入り口になります。
まずは蒸気機関車から
1261号蒸気機関車
大正12年 日本車輌製のC形タンク機関車
日本で2番目に古い2号蒸気機関車
明治6年にイギリスで製造され同年に輸入され、大阪~神戸間の営業運転に活躍しました。
4号機関車
大正11年川崎造船所兵庫工場製のC形タンク機関車。
昭和9年長野電鉄から加悦鉄道へやってきました。
103号蒸気機関車
大正4年生まれのかわいい機関車は弁慶・義経で有名な米国ポーター社の製造。
アメリカ開拓時代の面影を残しており、西部劇のミニチュア版といった感じです。
C57形蒸気機関車 (C57 189)
日本の近代蒸気機関車のうち最も端麗とされその姿かたちから見て「貴婦人」とも呼ばれていました。
昭和21年三菱重工三原製作所製。
C58形蒸気機関車 (C58 390)
テンダー式としては我が国最初の密閉式運転室を採用し、主に寒冷地に配属されました。
愛称はプレーリーで昭和21年汽車製造㈱製。
つづく・・・
鳥取への日帰り乗り鉄の翌日は京都府与謝郡にある加悦SL広場に行ってきました。
(加悦と書いて「かや」と読みます)
加悦鉄道は大正15年12月5日「加悦」~「丹後山田」を結ぶ総延長5.7Kmが開通。
昭和2年3月には当地方へ甚大な被害を及ぼした「丹後大震災」が発生。
加悦鉄道も駅の焼失・倒壊、線路築堤は全域にわたり50cm程度陥落し、軌条は上下左右に屈曲し運休を
余儀なくされましたが、迅速な復旧を行い被災地域へ復旧資材の運搬を行いました。
昭和9年ごろより「ちりめん」産業が活況、加悦鉄道も多くの人に利用され、同年、大江山にニッケル鉱山が
発見され、昭和14年には鉱山駅までの2.6Kmを延長し、ニッケル鉱石の搬出に活躍。
昭和30年頃より蒸気機関車の老朽化などによりディーゼル機関車やディーゼルカーに転換。
昭和45年頃に休車して使われなくなった車両を加悦駅構内において保存展示を始める。
60年間にわたり地元住民の足、地元産業品等の輸送、ニッケル鉱石の輸送に活躍した鉄道も
モータリゼーションの波におされ、昭和60年4月30日に地域住民に見送られその歴史に幕を閉じました。
その旧加悦鉄道の加悦駅舎がSL広場の入り口になります。
まずは蒸気機関車から
1261号蒸気機関車
大正12年 日本車輌製のC形タンク機関車
日本で2番目に古い2号蒸気機関車
明治6年にイギリスで製造され同年に輸入され、大阪~神戸間の営業運転に活躍しました。
4号機関車
大正11年川崎造船所兵庫工場製のC形タンク機関車。
昭和9年長野電鉄から加悦鉄道へやってきました。
103号蒸気機関車
大正4年生まれのかわいい機関車は弁慶・義経で有名な米国ポーター社の製造。
アメリカ開拓時代の面影を残しており、西部劇のミニチュア版といった感じです。
C57形蒸気機関車 (C57 189)
日本の近代蒸気機関車のうち最も端麗とされその姿かたちから見て「貴婦人」とも呼ばれていました。
昭和21年三菱重工三原製作所製。
C58形蒸気機関車 (C58 390)
テンダー式としては我が国最初の密閉式運転室を採用し、主に寒冷地に配属されました。
愛称はプレーリーで昭和21年汽車製造㈱製。
つづく・・・
by WORKS-Z
| 2010-08-06 12:54
| 鉄道関連施設
| ▲